北斗書房版・京の歳時記〔秋の部〕

〔秋の部〕

紅葉狩

股引の茶汲女や紅葉狩                                            草一

京都は紅葉の名所が多く、本句は東福寺の紅葉狩りを詠んだものです。
多くの客を捌くには和服に前掛け姿では動きづらく効率が悪いので、男物の股引をはいて忙しく立ち働いている茶汲女の姿を詠んでいます。

東福寺/
http://www.tofukuji.jp/

 

紅葉焚く金閣寺燃えおつるかな                               有馬朗人

昭和25年、放火で炎上した金閣寺と重ねあわせた句です。

鹿苑寺(金閣寺)/
http://www.shokoku-ji.jp/k_about.html#

 

冬ちかし

冬ちかし時雨の雲もこゝよりぞ      蕪村
  (洛東ばせを庵にて)

蟷螂の反りかへり見る冬近き       山口青邨

金福寺は洛西の落柿舎とともに俳諧遺蹟として知られています。松尾芭蕉と親交のあった円光寺の鉄舟和尚が無名の一宇を芭蕉庵と名付けました。その後、荒れ果てていた庵を蕪村が再興し、天明三年に68歳で亡くなり金福寺の後の丘に葬られました。

金福寺(京都観光Navi)/
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000076

 

平野屋を出づれば月の東山               琅玕子

白川をかよふ夜舟や空の月               重頼

平野屋は「いもぼう」で知られた円山公園にある料理屋で、青蓮院に仕えた初代が宮様のお供をして九州へ行き、唐芋を持ち帰り、栽培したところ形が海老に似ていたので海老芋と名付けました。宮中献上品の棒鱈と炊き合わせたところ、芋は形崩れせず、棒鱈は柔らかく、互いの持ち味を引きたて「夫婦炊き」と呼ばれました。

 

夜寒

太秦に撮影を見る夜寒かな      楓涯

右京区太秦は「日本のハリウッド」と呼ばれ、大映、東映、松竹の撮影所がありました。現在は「東映太秦映画村」が修学旅行生で賑わっています。

太秦東映映画村/
http://www.toei-eigamura.com/

 

征きし子の部屋そのままに夜寒かな    北 山河

太平洋戦争で学徒出陣か応召で戦地に行った子の部屋の寒々とした光景です。出征した我が子は無事に帰還できたのでしょうか。

 

鹿

北嵯峨や町うち越して鹿の声     内藤丈草

内藤丈草は江戸中期の俳人。「うち越す」とは間にあるものを超える意味です。

 

ぴいと啼く尻声悲し夜の鹿      芭蕉 

奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき      猿丸大夫

古今集巻四・秋上にある猿丸大夫のこの歌は、「小倉百人一首」でご存じの方も多いことでしょう。

 

露けし

夕霧の墓へのみちの露けさよ     高桑義生

露けさの身をかばひ子をかばひけり    中村汀女  

夕霧は京都・島原の遊女で後、大坂・新町の遊郭に替わり、江戸の高尾、京の吉野とならび日本の三太夫といわれました。墓は大阪下寺町の浄国寺にありますが、嵯峨とする説もあり、毎年一一月に「夕霧祭」が催されています。 

 

暮れの秋

祇王寺でまた遭ふ女暮の秋      伊藤孟峰

祇王、祇女、母刀自、仏御前の話は「平家物語」巻1で有名です。因みに現在の建物は京都府知事・北垣国道が自分の別荘内の茶室を寄進して寺としたものです。

 

奥嵯峨に住みて一人や春の月    高岡智照尼

高岡智照(明治二九-平成六)本名・高岡竜子、奈良県生まれ。東京新橋で「照葉」と名乗り人気芸者になりましたが、後、祇王寺の庵主となり、余生を送りました。瀬戸内寂聴の小説「女徳」のモデルとされ、岡田茉莉子主演でテレビドラマ化、舞台化されました。

祇王寺/
http://www.giouji.or.jp/

 

大根蒔く

名ばかりの淀の城址や大根蒔く    暁明

大根播く光の粒をこぼすかに     西尾玲子

淀は山城盆地と摂津・河内を扼える畿内の要衝の地でした。秀吉は淀城を修築して淀君を囲ったことから有名になりましたが、維新後、城はこわされ昔日の面影は望むべくもありませんでした。
荒れた城址を見ながら大根を撒いている旧淀藩士の姿が目に浮かびます。

 

塵溜に柚味噌の蓋や妙喜庵        北渚

柚子買ひしのみ二人子を連れたれど  石田波郷

妙喜庵は室町時代後期の俳諧師・山崎宗鑑が草庵を寺に改めたと言われています。千利休もしばしば訪れ、また秀吉は茶会を催したと伝えられています。待庵茶室は国宝に指定されています。

 

大文字

火の入りし順には消えず大文字        稲畑汀子

送り火や今に我等もあの通り            一茶

大文字やあふみの空もただならね     蕪村

京の夏の風物詩である大文字。如意ヶ嶽(右大文字)から反時計周りに、妙法・舟・左大文字・鳥居の順に点火されますが、消えるときは必ずしもこの順にならず、得てして最初に点火する右大文字が最後まで残っている場合が多いようです。火床の大きさによるのでしょうか。余談ですが、京都人は「大文字」を「大文字焼き」言われるのを非常に嫌がります。山焼きではなくご先祖のおしょらい(精霊)さんが西方浄土へお帰りになるのをお送りしていると考え、送り火と称します。

 

 

〔参考・引用文献〕
 新日本大歳時記          講談社
 俳句で歩く京都  文・坪内稔典  淡交社
 昭和京都名所図会 竹村俊則    駸々堂
 日本古典文学大系 蕪村集・一茶集 岩波書店