【洛中徒然(3)】紫野散策 ― 憧れの小路と女中学校 ―
紫野は、京都市北西部に位置する、船岡山から大徳寺辺りにかけての広い地域を指します。
大徳寺や今宮神社など観光スポットとして有名な寺社があり、古都の歴史を刻む場所のひとつです。また、洛北七野と呼ばれる京都市北部に広がる7か所の野(内野、北野、平野、点野、紫野、蓮台野、上野)の一つでもあります。
地名の由来には諸説ありますが「宇多村の先にある野」が転じたものという説が有力です。
歴史の古い地名で、平安時代初期の書物には「桓武天皇が紫野で狩りをした」という記録があります。
大徳寺の塔頭である孤蓬庵の東側、今宮神社の参道に面して紫野高校があります。
昭和27年創立と比較的歴史の新しい高校ですが、最近では芥川賞作家を輩出したことでも知られています。
紫野高校ができる以前は、京都淑女中学・高等学校があり、孤蓬庵近くの路地は女学生の通学路でもありました。
誰が言いだしたのか定かではありませんが、この路地を当時の男子学生などは「憧れの小路(こみち)」と呼んでいたそうです。
ある方の手記に、この淑女中学に関するこんな記載がありました。
「…校名を書いた大きな看板の「淑」が消され、あろうことか「淑女中学校」が「女中学校」になってしまった。近所の悪童の仕業であるが…(中略)…大人たちも「またか」と苦笑いしていた…」
半世紀近く前のエピソードですが、当時のおおらかさが偲ばれます。
この女学校は後に廃校になり、跡地には紫野高校が創立されました。その際、当時淑女高等学校にあった茶室はそのまま紫野高校に移築されました。
この茶室は「茗清軒」と呼ばれ現在でも茶道部の活動の場として、当時の佇まいを今に伝えています。
古く平安の時代から続く紫野の地、そんなはるか昔に思いを馳せながらこの地を散策してみられてはいかがでしょうか。